【試験頻出キーワード解説】日本の初期の心理学者たち2

こんにちは。キノセジンです。 

今日は試験頻出の日本の初期の心理学者達について解説していきます。

  

福来友吉:日本における臨床心理学の萌芽

 変態心理学、現代で言うところの臨床や催眠にやや近い分野の研究・教育を行っていた。元良勇次郎のもとで催眠術の研究により博士号を取得後、東京帝国大学において助教授にまで登った。1905年に日本における最初の催眠に関する体系的研究書である「催眠心理学概論」を出版。1910年頃より”透視能力”や”念写”の研究に着手し、メディアの影響もありこれが物理学会や生物学会などを交えたセンセーショナルな議論に発展する(千里眼事件)。

 

 福来含め各方面の学者により”透視”の研究がなされたが科学的に肯定できるような方法・結果は得られなかったため、福来やその実験参加者は学会やメディアの批判を浴びることになる。元良他界後の1913年に千里眼事件についての著書「透視と念写」を発表、これが”透視”の存在を認めない学会へ明確に反論の立場を取っていたためかは定かではないが事実上の分限処分により休職・退職に至ってしまう。

 

 退官後は、高等女学校校長や高野山大学教授を務め、仙台に移った後も戦後まで禅など宗教に関するものや超心理学などの超常的研究を続けた。福来についての評価は賛否が分かれ、特に超能力の研究は現代でも批判的風向きが強いが、一方で福来退職後の変態心理学講座担当が空席となってしまったため、日本における臨床心理学の発展に影を落としたと見る風向きもある。

 

★松本亦太郎:日本の心理学を牽引した二代目

 元良の弟子であった松本は、私費でイエール大学に留学し、ラッドやスクリプチュアの元で実験心理学を学び博士号取得後、1898年、官費にてライプツィヒ大学に留学してヴントに師事する。留学中、心理学実験用器具の使用に習熟し、帰国後は、東京高等師範学校(現・筑波大学)などで主に教育心理学分野としての教授、東京帝国大学においても実験心理学の講義を受け持った。

1903年頃に元良が構想した独立の心理学実験室を東京帝国大学に設立する折に尽力する。その3年後京都帝国大学教授となり心理学講座の新設に関わり、この折も京大に心理学実験室を創設する。元良没(1912)後は後に休職する福来と入れ違いで東京帝国大学の教授になる。退官後の1927年日本心理学会を創設し初代会長に就任する。松本の後の東京帝大教授は、ヴントから学び民族心理学を研究していた後輩の桑田芳蔵が引き継ぐ。

 

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★覚え方

福来友吉(ふくらいともきち)は、臨床心理における対人支援の側面と多難な人生を鑑みるイメージで「”福”が”来”て”友”に”吉”あれ臨床心理」

松本亦太郎(まつもとまたたろう)は二代目のイメージで「”また”やってきた”またたろう”、実験・教育頑張るぞ」

ついでに桑田芳蔵(くわたよしぞう)は「”クワ”で耕す(“た”がやす)”民族”」と覚えましょう。

 

 

★さっそく問題を解いてみましょう

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

 

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